Essay

Essay by HironoriKatagiri

Junko Museum of Art

 Junko Museum of Art

 スコットランドのハイランド地方、この地方特有の見渡す限りヒースが生い茂る、木の生えていない、人家もない、緩やかな丘陵地が延々と続く。細い曲がりくねった道をDufftownに向かう途上に忽然と現れるGrouse InnというWhisky Barがある。店に入ると、まず目に入るのが、700本のウイスキーのボトルがこれでもかこれでもかと並ぶ壮観である。そのうち100本は亡くなったオーナーの特別コレクションで海外からもコレクターが欲しいと買いに来るらしいが、これは売り物じゃない、と奥さんのウィルマは一蹴する。これだけのウイスキーを何年かかって集めたのだろうか?
 秋も深くどんより曇ったある午後、僕は作家仲間5人とGrouse Innに飲みに行った。しかし週末だというのに駐車場には車もなく、ドアは閉まって真っ暗、どんどんどんといくらノックしても返事がない、人の気配が全くない。窓に小さく臨時休業の張り紙があった。僕らは落胆し帰ろうと車に戻っていったら、後ろで突然ドアがガタンと開いて娘のメリーがひょっこり顔を出した。のんびりシャワーを浴びていたらしい彼女は、慌てて服を着て出てきたらしく、湯気が立っている。まともな食事は出せないわよと言いながら、彼女は貴重な休みを返上し、僕らのために店を開いてくれた。
 まだ薄暗い店内で、待ちに待ったウィスキーを彼女は次々にグラスに注いでくれる。彼女がサービスで作ってくれたサンドイッチやカップケーキを頬張りながら、片っ端からテイスティングしていった。ここにあるボトルすべてを味わうのが僕の密かな夢だ。

 作家として東京ではない地方に生きていくことは、揺れ動く自分を抑え正気を保ちながら、孤独と疎外感をハンディではなくアドバンテージに変える作業である。東北という厳しい凍土の中で、美しい 風土と偏狭な地域的人間関係にさらされながらも時代と社会にひっそりと寄り添い、再発見した個性を存分に開花させ、アートが本来持っているはずの力、人々を繋ぎ、社会を変えていくみずみずしい力を呼び戻し、自律的な社会との関係を築いていく。
 多くの作家が私小説的なテーマのもとに、奥の深い袋小路に迷い込んで、それが芸術家的葛藤の本質であると錯覚し、表現の片思いに陥いっている。また、一時的に衆目を集めるエンターテイメントとしての消費されるアートばかりに関心が集まり、生きることに寄与する力のあるアートが少ない。しかし、その責任は作家だけではなく、むしろ受取る側のほうにこそある。現代という時間は心身ともに健全なアートが育ちにくい土壌を助長しているのではないだろうか。

 Junko Museum of Artのスゴいところはキュレーションの選択肢がそれほどないのに、作家のいいところを探し出しては鼓舞叱咤激励しながら発表の機会を与え、ちゃんとコレクションとして作品を購入してあげる。美術館としても21世紀美術の一角を照らし出すコレクションを構築しながら、納得できる表現としての展覧会の質を維持しながら作家がきちんと活動できる状況を提供していることにある。作家にとっても、Junko Museum of Artは、互いの思想と姿勢を理解し刺激し合う数少ない貴重な場となっているのだ。

 20周年おめでとう!

片桐宏典

諄子美術館20周年記念誌寄稿文 2020.7