Essay

Essay by HironoriKatagiri

会報寄稿文、東北スコットランド協会、1996

私とケイトが二人で、日本のスコットランドといわれる岩手県のとある地方に住んでみたいと思い始めたのは、なによりも、岩手山の雄姿と、漂うように広がる草原が気にいったからである。自然は、なんといっても力強い方がいい。 日本の自然の豊かさを語るとすれば、北海道とか、長野の日本アルプス周辺あたりの方がいいかもしれない。しかし、今の時代、石の彫刻をつくるには膨大な電力と水が必要なうえ、大型工作機械、トレーラー、クレーンなどが、不自由なく出入りできるところでないと、せっかく完成した大作を運び出すことすらできなくなるということになりかねない。そのため、豊かな自然の懐に奥深く飛び込んでしまうのはなかなか難しい。
それにしても来てみたら、偶然ながら、岩手県岩手郡岩手町という便利な町名であったとは、思いもよらなかったし、その上、浮島という地名もなんとなく品があってよろしい。浮島といえば、かの秦の始皇帝が夢見たユートピアの地であるし、ギリシャ神話でアポロ神が移り住んで繁栄を極 めたといわれる聖地デロス島も、本来はアデロス(“浮島”)という地名であったのだから。

我々は二人で、この牧草の広がる2haばかりの土地に、石の彫刻に限らず、広く環境と芸術の在り方を考えていくインスティチュート、つまりは研究所を作っていくつもりである。今のところ、石の彫刻制作のためのスペース600坪程を整備し、その脇に、事務所兼住居の20坪ばかりのプレハブハウスが立っている。それと、古い民家を改造したゲストハウス兼倉庫もある。これから徐々に、植物園並みにさまざまな樹木植物を山の中から集めて来て、その真ん中に石でアトリエと家を建てていくつもりだ。設計や計画を進めていく上で実際に、目の前に木々のサンプルがあれば、イメージし易いだろう。いくら我々が彫刻家であるとはいえ、最近、よくある彫刻公園にだけは、するつもりはない。
ところで、私がケイトと出会ったのは、4年前の夏である。それまでの私は、夏はオーストリアで仕事、冬はスコットランドで仕事というまるで渡り鳥のような生活パターンだった。それが、少しずつ一年の大部分をスコットランドで過ごすようになっていった。 私はその殆ど時間を、ラムズデンという200人ばかりの小さな村で過ごした。アバディーンから車で小一時間ほど西へ向かう、ハイランド地方の真ん中にあるその村には、ホテルが一軒、教会がひとつ、ガソリン・スタンドがひとつあるくらいの、本当に小さな村で病院すらなかった。その村のはずれに、昔のお菓子工場を改造した、共同彫刻スタジオ(アトリエ)があって、規定の料金を支払えば、自由に使えるスペースになっていて、一般に開放されていた。道具や機械もかなりそろっているし、素材となる石も、その昔、ロンドン橋やシドニーのオペラハウスに使った見事な花崗岩の石切り場が、わりと近くにあった。それになんといっても、ちょっと足を伸ばせば、ハイランド・モルト・ウイスキーの工場がいくらでもあるのが気に入った。
スタジオには、スコットランド人、イギリス人はもとより、いつも世界中からさまざまな彫刻家が集まって来ていた。2、3日から6か月間に至るまで、自分の都合に合わせて好きなだけ滞在しながら、彫刻作りに励んでいる。いわば、朝から晩まで、自由な学校か研究所のようなものである。いつも、10~15人くらいは居た。年齢層も、美術大学の学生から、65才ぐらいの人まで実にさまざまだ。、そして、毎年夏になると、一か月間ほど、ワークショップが特別に招待した作家達によって国際彫刻シンポジウムが行われる。彫刻家のシンポジウムというのは、昼は、ひたすら、もくもくと制作に励み、互いに切瑳琢磨し、夜は、えんえんと、踊り飲み交わして、言葉を越えた交流を深めるという、シンポジウムの本来の姿である。そこで、私は、若く美しい彼女に会ったのでした。

我々が、エディンバラで結婚式を挙げたのは、去年の九月。私は、クリスチャンではないので、
協会でやっても意味が無いので、彼女の両親のうちで、知り合いの牧師さんに頼んで簡単にやってもらった。夜には、私がたまに講師をしていた、エディンバラの芸術大学のコートでたくさんの仲間や友達と記念のパーティを行なった。日本に帰 ってからは、何しろ、早いところ、仕事をするためのスタジオと住む家をなんとかしければなかったので、あっという間に時は過ぎた。
そのうち、ケイトの両親が日本に来るということになったので、それに合わせて親戚友人を呼んで、紹介する意味で、日本でも我々の披露宴をすることになった。これは、日本での我々の正式な披露宴ということになるのだが、堅苦しいことはなしに、盛岡のメトロポリタン・ホテルの会場を借り、会費制でダンス・パーティをすることにした。
7/18当日、当日ホテルには、マンドリン中心の生バンドが来て、何曲かは、スコティッシュ・ダンスをという予定だったが、演奏する方も踊る方もうまく行かなかったようだ。二時間足らずの間、それぞれが、おしゃべりを中心に楽しんで頂いたと思う。

略歴
片桐 宏典/1958年気仙沼生れ。宮城教育大学卒業後、オーストリアのリンダブルン国際彫刻シンポジウム助手として渡欧、オーストリア、スコットランドを中心にヨーロッパ各地で、制作活動を行う。1989年、仙台国際彫刻シンポジウムをオルガナイズする。1991年夏、岩手県岩手郡岩手町浮島に住居兼スタジオを、ケイト・トムソンと共に設立。
ケイト・トムソン/1961年セント・アルバンズ生れ。ニュー・キャッスル・アポン・テイン工芸大学卒業後、グラスゴーのコミュニティー・アーティストとして、地域の美術教育に専念。87年以x降、石彫を中心にヨーロッパ内外の国際彫刻シンポジウムに参加、3年前から日本でもいくつかの公共空間の彫刻プロジェクトに積極的に参加している。